大出世するローカル駅、渡島大野駅を歩く
2014年6月11日、渡島大野駅の北海道新幹線駅開業後の駅名が「新函館北斗駅」となる事が発表された。私はこの駅に降りた事がある。新幹線駅になる事は大分前に発表されていたが、あのローカル駅が遂に…。渡島大野駅の風景を思い返していた。
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2007年2月の雪が降りしきるある日、函館近くで駅巡りの旅をしていた。時刻表を眺めていると、途中の駅で下車し1本列車を遅らせてもプランには影響が無い事が解った。そこで、通り掛かりにあった渡島大野駅で降りてみようと思った。函館の北、約15kmの場所にある駅だ。かつての大野町の中心駅だったが、2006年に上磯町と合併し北斗市となった。
下車し跨線橋から駅の北側を見渡した。しかし雪が降り空は白く霞み、閉ざされているかのように遠くは見えない。駅周囲は薄っすらと雪を被った土地が広がり、人家や建物は少ない。畑か田んぼか何かで、夏になると農作物や牧草などで緑に彩られるのだろうか…?
駅構内は思いのほか広い。プラットホームは駅舎側の1線と離れた島式ホームの2線と2面3線で、長さは10両位の列車が停車できそうな程長い。特に島式のホームは長さに加え幅の広さも印象的で、どことなく昔の汽車旅の風情がかすかに残っている。他に、側線も2線もあり、広い構内に長い5線分のレールが真っ直ぐ伸びている様は、静かなローカル駅らしからぬ不思議な風格を感じさせる。旧大野町の玄関口として昔はさぞ賑わったのだろう。乗降客は減って駅はひっそりとしてしまったが、青函トンネルを介し行き来する貨物列車も多く、行き違いでこの駅に停車する貨物列車もあるのだろう。
北側の線路左手側には広い空地が広がっている。かつては農業倉庫などが並び、秋になると、この地で収穫された作物が盛んに出荷されていたのだろうか…?
その線路横の空地を見てみると、「北海道新幹線、新函館(仮称)駅 2012年の開業を目指せ!!」という看板がぽつんと掲げられているのが見えた。「ああ、そうだ。この駅だったな・・・」と思い出した。北海道新幹線・青森‐函館間の工事が始まっているが、函館側の新幹線駅となるのが、この渡島大野駅なのだ。
今は地元の人々の利用がほとんどのローカル駅で、その上、無人駅だ。それが何と北海道新幹線の駅になってしまうのだ。北海道でも有数の都市で、また人気の観光地でもある函館市の玄関口の駅となると、将来、札幌まで延伸開業しても、各駅停車タイプが主に停車する駅と違い、全ての列車が停車し、乗降客が多い主要な駅の一つとなるのだろう。そう思うと、この小さな駅は何という大出世を果たすのだろうと思う。
最初、主要駅となるであろう函館側の駅が、なんで今の函館駅に乗り入れないで市中心部から15kmも離れたこんな場所にと強い違和感を覚えたものだった。地図を見ると函館と言うよりか大沼公園に近く、よくこんな場所にと思う。実際にこの場に立つと一地方の小さな町という印象で、よくこんな所に作るものだと思った。
でも札幌までのルートを考えた場合、函館市中心部に乗り入れていたら遠回りになり、本州各都市と札幌間のといった都市間輸送の所要時間が延び、航空機との競合に余計に不利になってしまう。
なので、函館市内に入らず短絡できるルートが選ばれたのだろう。そして、広い構内を有している渡島大野駅なら、新駅の用地としてうってつけだと来てみて見て思った。それに函館本線も通っているので、例え少し離れた場所にあっても、新幹線開業後、函館駅、五稜郭駅と言った函館中心部とを結ぶアクセス列車も出来るだろうから、まあ問題無いだろう。
駅舎の待合室に入った。無人駅だが室内はストーブが点され、寒さから逃れホッとした気持ちになった。
しかし、ストーブを取り囲み、色とりどりのプラスティック製のベンチが取り囲んでいてるのが異様で、強く目を引きつけられた。オレンジ、白、空色、赤、灰色、緑のベンチが一不規則にたくさん並び、カラフルだ。何かを狙っているのか…?しかし、駅舎内はきれいに改装されている事もあり、華やかな印象で悪くは無い。
ストーブの上には鉄製の丸いヤカンがポンと置かれている。華やか過ぎる風景の中、昔ながらのどこか懐かしい風情に心も体も温かくなる心地だ。
かつて窓口だったと思われる場所は塞がれ、今では北海道新幹線に関するポスターや資料などが掲示されている。でも、やはり「札幌」という文字が一際印象的に映る。新青森‐函館間の工事は着々と進められているものの、札幌までの延伸はやはり大きな念願なのだ。
無人駅だが壁の背後の旧駅事務室跡からは、何やら人の気配がする。たぶん、保線員さんか新幹線の工事関係者の方が詰所として使っているのだろう。
駅舎から出ると目に入るのが、今は営業していないだろう駅前食堂・商店の家屋など数軒の人家だ。駅前を通る道の交通量はとても少ない。ありふれたローカル線らしい駅前の光景だ。北斗市になる前の大野町時代、渡島大野駅は役場などもある町の中心への最寄り駅で、駅の西側や南側には家屋も目に付く。しかし中心部からはやや外れた場所にあるため、駅はひっそりとしている。
駅舎は比較的新しく、1988年(昭和63年)に建てられたもの。中央から突き出た三角屋根や出窓が印象的な洋風木造駅舎調の建物だが、壁面はプレハブという今どきの造りだ。有人駅としての利用を想定していたためか駅事務室も確保され、小さな簡易駅舎とは違った駅舎としての体裁がある造りだ。しかし新幹線駅となると改築は避けられないだろう。僅か20年ちょっとでもったいないような気もするが、いい駅舎に生まれ変わるのを期待しよう。
歴史感じさせるものたち…
駅横の茂みには大野町時代の観光地図が掲示されていた。その右隣の「本郷駅」という看板が気になる。良く見ると、小さく「現渡島大野駅の前名」と補足されていた。
大野町は1900年(明治33年)に本郷村と市渡村が合併してできた町だという。駅開業の際、旧本郷村の住人が駅設置に反対したため、駅は旧市渡村に設置されたという。しかし駅名は本郷となったという。駅名が渡島大野となったのは1942年(昭和17年)の事だ。
次の上り列車に乗るため、プラットホームに戻ってきた。
一番線には1911年(明治44年)に建てられたというレンガ製の危険品庫が残る。使い古され渋みを増した色に変化した様が味わい深い。まさにこの駅の歴史感じる生き証人だが、新幹線駅新築で無くなってしまうのだろうと思い寂しい気持ちで見つめた。
しかし、その後のニュースで、市がJRから譲り受け、駅前の公園に移築する事になった事を知った。
1番線と2番3番線は、古めかしい木造の跨線橋で結ばれている。どっしりと佇む様はあのレンガの危険品庫と同様に、この駅の歴史を感じさせる。しかしこちらは保存するには大き過ぎ、やがて取り壊される運命にあるのだろう・・・。
プラットホームから構内を見渡してみた。雪をうっすらと被った駅は、乗降客の気配無く、終始、ひっそりとしていた。
雪に覆われたのどかな農村風景の中に、ポツンと看板が掲げられていた。「夢へ出発!北海道新幹線 いよいよ実現へ!!」の文字が映える。まるで、躍っているかのように…。
そして雪が降る中、時間通りに函館行きの列車が入線してきた。単行の気動車という北海道のローカル線では見慣れた風景だ。しかしこれも新幹線が開通すると、何とかライナーというアクセス列車が設定され、小奇麗な車両が函館駅などとこの駅を結ぶのだろう。
新幹線開業後、ぜひ再びこの駅に訪れたいものだ。同じ駅とは思えない程の変貌を遂げているかに違いない。それはそれでとても楽しみでわくわくする。でも同時に、唯一、渡島大野駅時代の面影を留めているであろうあの古い危険品庫も見てみたいものだ。再びまみえた時、威風堂々とした新函館北斗駅がそびえる風景の中、懐かしい気持ちでいっぱいになり、ちっぽけで古びたレンガの建物と、この駅の昔語りをしている気分になるのだろう…。
[2007年(平成19年) 2月訪問](北海道北斗市)
同じくローカル線小駅から北海道新幹線に出世する「奥津軽いまべつ駅」。秘境駅ムードさえ感じる以前の様子は以下のページへどうぞ!
海峡線・津軽今別駅と津軽線・津軽二股駅の奇妙な関係??