改修され生き残った明治の木造駅舎
数年振りに、津山線の建部駅で下車した。
2面2線の相対式ホームを持つ駅で、津山線の前身、中国鉄道時代の1900年(明治33年)、駅開業時以来の古い木造駅舎が残っている。その横には、塀に囲まれた中に木造の建物が残っているのも気になった。
以前、建部駅に来た時は、既に日が沈み暗くなってからだった。だけど漆喰の壁にヒビが入り剥がれ落ちているなど、痛みが目立っていたの闇夜の中で眺めても明らかだった。
しかし、今回の訪問ではきれいに修復されていた。2006年(平成18年)に、駅開業以来の姿をよく留める駅舎として価値が認められ、国の登録有形文化財となった。
駅舎に近づいてよく見ると、柱が補強されたりするなど、修復の跡は見られる。しかし、木の趣を存分に活かした修復が施されているのが嬉しい。窓枠は木製だ。
木造駅舎の改修では、新建材で覆い尽くすなど、その駅が持つ趣を台無しにしていまう場合も多く、いっその事、取り壊して新しい駅舎を造ってしまえと思う事さえもある。建部駅のように、改修の際に、もうちょっと考えてくれるケースがあってもいいのでは…、と思う。
外観はもちろん、よく原形を留める出札口や手小荷物用といった窓口跡が素晴らしく、今となっては貴重だ。
簡易委託駅で、駅に入居するタクシー会社が切符販売を行っている。窓口の中の旧駅事務室跡にはタクシー会社の人が居るのが見える。しかし、駅の業務を行っているという空気ではなく、駅務室真ん中あたりに置かれたソファーに座りくつろいでいたりなど、のんびりとした雰囲気を漂わす。だが、駅に人が来ているのは気にしているようで、待合室で写真を撮っている私の様子を中から伺っていて、それに気づいた私と一瞬目が合った。駅に居ると言うより、個人商店に入ったら、会計の奥に垣間見えた居間で、家族がくつろいでいるのが見えてしまった気分だ。
暇そうだが、もちろん、窓口に乗客が来れば切符を売っているし、タクシー会社としての業務もこなしているのだろう。
外に出で建部駅の駅舎を眺めてみた。増築されているとの事だが、昔ながらの木造駅舎の趣はよく留め、味わい深い雰囲気が漂う。かつてはセメント瓦だったが、改修時に赤茶色の瓦に葺き替えられた。
駅舎の土台部分は花崗岩で囲われている。駅名看板は改修以前からのもので、おそらく手書きなのだろう。
駅周辺は商店や銀行などがあるが、民家少しある程度で、田畑や山など緑に囲まれているのんびりとした風景だ。
建部駅は、現在では市町村合併により、岡山市北区となったが、2007年1月22日の合併前までは建部町という独立した自治体の中の駅で、町の名前を冠した代表駅だったように思える。しかし、一つ津山寄りの福渡駅の近くに、旧町役場(現在は支所)や商店街もあり、こちらの方が旧建部町の代表駅だった。急行つやま、快速ことぶきは福渡駅に全列車が停車するが、建部駅には快速ことぶきが一部停車するのみだ。
駅員宿舎という昔のままの駅風景
駅舎の隣には、木の塀でぐるりと囲まれた土地があり、ホームから覗き見できないようになっている。その土地の中には、古めかしい木造家屋が建っている、
その建物は駅舎同様に木造でとても古めかしい。玄関をよく見みていると、建物財産標が付いていて
「鉄宿 宿舎1号 昭和28年10月」と標されてた。
半世紀以上前の駅員用の宿舎がいまだに残っているのだ。開業以来の姿を留める駅舎も貴重だが、駅員が住込みで働いていた時代の駅の構造を残している事も同じく貴重だ。長野電鉄の信濃竹原駅など、駅員宿舎と思しき建物が残っているが駅もある。しかし、建部駅のかつての駅員宿舎には、今でも人の気配がし、まるで駅が賑やかだった頃を思い起こさせる。タクシー会社の人が住んでいるのか、寮か休憩所にしているのだろう。
夕時になり、駅舎の中からは包丁がカンカンとまな板を叩くが聞こえ、料理の匂いが漂ってきた。人が居て、生活感のする駅舎もいいものだ。でも昔の小さな駅には、宿舎に駅長さん一家や駅員さんが住み、その生活の空気をまとっていたのだろう。日本全国、色々な木造駅舎を見てきたが、無人化されている事も多く、誰も居ないのは半ばあたりまえだったので、とても新鮮な感覚だ。そんな、昔のありふれた駅の雰囲気を、現代に居ながら思い起こさせてくれる建部駅は偉大な存在なんだなと深く心に刻まれた。
[2008年(平成20年) 9月訪問](岡山県岡山市北区)
~◆レトロ駅舎カテゴリー: JR・旧国鉄の三つ星駅舎~
追記: その後の建部駅
2012年11月、建部駅を再訪した。木造駅舎は健在だったが、いつかし入居していたタクシー会社は撤退してしまっていた。そのタクシー会社が簡易委託を請け負っていたため、結果として無人駅となった。空っぽになり静まり返った駅事務室内部を見るにつけ、駅舎の中から人の温もりが伝わってくるような、あの光景が失われてしまったのかと思うと、寂しい気持ちはやむ事は無い…。
2015年中に、残念ながら駅舎横の駅員宿舎と別棟の浴室跡が取り壊され、跡地の敷地一帯は整地され更地となってしまった。建部駅は、駅員さんが住み込みで働いていた時代の様子をそのままとどめた、あの駅員宿舎一帯が、駅本屋以上に貴重で次世代に残すべき鉄道遺産であると個人的に思うようになっていたので、取壊しを聞いて大きく落胆した。駅舎=駅本屋は以前よりは文化財として認識されるようになってきた感はあるが、その周辺の貴重な構造物には、まだ光は届いていない。
2022年8月、津山線駅巡りの旅をした。建部駅には訪問しなかったものの、列車行き違いの時、車内から様子を見た。するとあの駅員宿舎跡地にはスロープが整備され、だいぶ風景は変わった感…。スロープは2016年7月に整備されたとの事。