昭和初期築の古色蒼然とした木造駅舎
日光線の合戦場駅で下車した。これと言ってユニークな造形や際立った外観ではないが、素朴さが良く、長年、使い込まれ味わいのある木造駅舎だ。1929年(昭和4年)の開業当初からの駅舎とか…。
大手私鉄に数えられる東武鉄道だが、この合戦場駅以外でも、伊勢崎線末端部のローカル区間など、現役で頑張ってる古い駅舎が多く、一日で訪問しようとすると目移りしてしまう程。
近くで見ると、壁は古び古色蒼然としているのがわかる。しかし車寄せを支える柱が一本だけ真新しいものに交換されていた。金属製とか他のものでも良かったはずなのに、わざわざ木製のもう一本の方と同じ形のものにするとは、東武もやる事が律儀だ。それにしても表面がつるつるし輝くような新しさのある柱と、古い木の質感の差は歴然だ。
合戦場という駅名は、室町時代の1523年、この地で合戦が起こった事に由来する。そう思うと、この古びてもなお佇む駅舎は歴戦の古武士のように思えてくるものだ。
駅舎横の物陰には、ごみ焼却炉の煙突など廃材がひっそりと放置されていた。
そして、何故か駅の敷地内でキャベツやネギが育てられていた。きっと、地元の人が空いている土地を勝手に拝借し、東武側もそれを黙認しているのだろう。だけど、このキャベツ美味しいのだろうか…?
現在は無人駅となっているが、出札口跡とそれより低い台の手小荷物窓口跡も健在だ。
それにしてもこの東武鉄道独特の窓口の造りは面白い。窓口下部の波状の壁面は、細長い円筒を縦長に切って、内面を表にして一本一本貼り合わせていったもの…、という言い方が近いだろうか…?別にこのような装飾にしなくても、フラットな木の板で塞いでも支障はないだろうが、あえてこのような手の込んだ装飾にするとは、駅空間に対する東武のちょっとしたこだわりに思える。
駅事務室の跡を窓越しに覗いてみた。やや汚れているが、電話ややかんなどがあったった。それに整頓されていたりで、人の出入りが時々ある事を物語っている。
プラットホームは、かつては2面3線だったようだが、駅舎にいちばん近い1線はレールが剥がされ、今は2面2線のみ使われている。
立ち去る前に惜しむように駅舎をホーム側から眺めてみた。使い込まれくすんだ壁面がいい渋味を放ち、強く私の目を引きつけた。
古駅舎の宝庫と呼べるほどの東武鉄道のローカル区間だが、ここ数年で建替えの波が押し寄せてきている。そして、この訪問から2年過ぎて、合戦場駅も木造駅舎の横に仮駅舎が出現しているという噂がウェブ上で流れている。また趣きある駅舎が、ひとつ失われてしまうのだろうか…。
[2005年(平成17年) 3月訪問](栃木県下都賀郡都賀町(※訪問時)。現在は栃木市)
合戦場駅改築
2007年(平成19年)7月、新駅舎が供用開始となり、その後、開業以来のこの木造駅舎は取り壊された。新駅舎は小さな駅事務室があるだけの簡易駅舎だ。
~◆レトロ駅舎カテゴリー: 私鉄の失われし駅舎 ~