大正2年築の洋風木造駅舎、JR上熊本駅
JR九州・鹿児島本線の上熊本駅の2代目駅舎は、1913年(大正2年)に建てられ、洋風木造の名駅舎として知られていた。
九州新幹線工事に関連し、上熊本駅は高架化される事になり、この大正の香り漂わす洋風木造駅舎は取り壊しの危機に瀕していた。しかし、地元の人々の保存運動により、上熊本駅のすぐ南側に隣接する熊本市電の上熊本駅前停留所の駅舎として移築される事になった。
2006年(平成18年)の1月25日を最後に、この大正時代の駅舎は長い役割を終えた。できればずっと…、いや、せめてあと7年、大きな節目となる百年まで、そのままでいて欲しかった。しかし、熊本市電に引き継がれ新しく生まれ変わって、また新たに時を刻んでいくのだと思うと、悲観する程でもない。
熊本市電・上熊本駅前電停へ移築後の姿
2006年の7月1日、熊本市電の上熊本駅前停留所への移築が完了した。
中央に車寄せを配置し、大きめで横長の洋風木造駅舎は、正面から見れば、他の木造駅舎とは違う威風堂々とした雰囲気を放つ。そしてJR駅舎時代は、看板や自動販売機など、色々な物が駅舎に置かれていたが、移築後はそういったものは無く、素のままの姿が見られる。元々そういう色だったのだろうか…、移築後は濃い緑色の木の柱や枠、パステルグリーンが目立つ色使いになった。
移築と言っても、完全という形からは程遠く、電停の上屋として、旧駅舎の正面と屋根を流用していると言った方がより正確だろう。屋根の下は2線分のホームがあり、市電が停車すれば人々が足早に行き交う。駅舎正面、道路側の軒下はバス待合所としても使われている。正面から見ると堂々たる洋風木造駅舎だが、横から見ると壁か仕切りのようで、正直拍子抜けしてしまう。まだ移築後間もなく、ペンキでつやつやしている事もあり、映画やTVのセットのようで重厚感や渋味には欠ける。
JR時代、出入口近くに設置されていた丸ポストも駅舎といっしょに移設されていた。
かつて私がJR上熊本駅に降り立った時に通った車寄せは健在だ。移築されたが、こうして別の形で巡り合えるとは不思議な感覚を覚える。しかし現在では出入口としては機能していなく、チェーンが掛けられている。かつての車寄せ下の出入口の奥に、ひょっこりと市電が顔を覗かせているのがまた不思議な感じだ。土地に余裕がなかったためか、車寄せは移設前よりのめり込んだ形に設置されている。
上熊本駅は夏目漱石ゆかりの地でもあり、道路を隔てた反対の歩道に、銅像が設置されている。元々はJR上熊本駅ロータリー真ん中の駅舎正面に置かれていたが、旧駅舎とともに新しい場所に移動された。
漱石は1896年(明治26年)4月旧制第五高等学校(現・熊本大学)に赴任する際、当時はまだ池田という駅名だっ上熊本駅に降り立った。この二代目洋風木造駅舎ではなく、初代駅舎の頃の話だったという。
JR上熊本駅のプラットホームから上熊本駅前電停の方を眺めた。隣接して、市電の車庫も併設されている。交通量の多い道路とJRの駅に挟まれた所に、電停と車庫があるのだ。
見ていると、決して余裕ある土地があった訳ではないだろう事は察せられる。なので移築の際は苦労も多かったのだろう。保存という観点からは不完全な形になってしまった感は拭えないが、それでも街とともに歩んできた歴史ある旧駅舎をこの地に残したいという人々の思いが、完全解体の危機から救い、かつてとほぼ同じ場所に保存、駅として活用されている意義は大きいと思う。上熊本駅が高架化され、九州新幹線が開通した後も、街の歴史を語る生き証人として、凛として佇み続けて欲しいものだ。
[2007年(平成19年) 6月訪問](熊本県熊本市)
~◆レトロ駅舎カテゴリー: JR・旧国鉄の保存・復元・残存駅舎~
追記
訪問時は上熊本駅前停留所という名称だったが、2019年(令和元年) 10月1日より「上熊本停留所」へと改称された。