まもなく取り壊しとなるハイカラ木造駅舎
JR両毛線には、栃木駅、佐野駅などハイカラな古い洋風駅舎が多く残っていた。昭和9年(1934年)築の伊勢崎駅駅舎もその一つだ。特にファサードの洋風っぽい造りが印象的で、両毛線の古駅舎らしさを感じる。この造りを入れなくても建物としては成立するのだろうが、あえてインパクトのある造りを取り入れるのは、当時の駅デザインへのこだわりで、駅が伊勢崎の玄関、ランドマークと主張しているかのようだ。
しかし、この洋風駅舎も高架駅舎への建て替えにより、2010年中に取り壊される事が決まっている。この駅舎に残された時間は残り僅か…。この駅舎が取り壊されると、両毛線に残る洋風駅舎は、足利駅のみとなってしまう。寂しいものだ。
伊勢崎駅は東武鉄道の伊勢崎線の終着駅でもある。駅舎はJR東日本が管理しているが、両社で共同使用している。改札業務はJRが行っている。乗り換えのためカードリーダーはあるものの、中間改札は無く、シームレスに行き来できる。
駅舎の片隅に立ち食いうどん・そば屋がひっついて営業している。暗くて、すこし寒い中、暖かな灯りを放つ風景に心引き寄せられ、私も温かいうどんでも食べたいなあと思った。桐生駅の立ち食いそば屋で食べたばかりなので、さすがに控えたが・・・。
帰ってから知ったのだが、この立ち食いそば屋も、駅舎新築に伴って残念ながら3月25日に閉店となる。36年間この駅で営業を続け、地元の人々に「早い、安い、うまい」と3拍子揃った店として親しまれて、閉店を惜しむ声は多いという。駅舎改築は単に古い駅舎だけでなく、共にいろいろなものが失われていき、そして人々の心の中に駅への想いが刻まれていくものなのだとしみじみと実感した。
夜の7時とは言え、駅前をぶらぶらしていると、商店はシャッターを下ろしている所も多く、まるで夜の闇に取り込まれているかのような雰囲気で消沈としている。市の中心地は駅より少し南側との事だが・・・。高架化に伴って駅前も整備されるのか、空地も目立っていた。
駅舎の内部は、さすがに両毛線内の主要駅だけあって、広めで天井も高い。きれいに改装されているが、天井に張り巡らされた木の枠や、採光窓の木の枠など、さりげなく古い造りを残している。
駅舎内には、扉で仕切られた待合室もあった。主要駅など「ちょっとした駅」の待合室らしい待合室も駅舎の新築やリニューアルによって、どんどん減っているような気がする…。どこか懐かしいモノのように私の目に映った。
無機質な自動改札機が並ぶが、側に早咲きの桜が生けられ、ほのかに華やかなムードに。春はもうすぐそこだ。
両毛線のプラットホームを1線だけ残し、高架化工事は進められ、新駅舎ははほぼ完成しているようだ。旧駅舎の眼前にまるで城壁のように立ち塞がっている。
改札を通って右手に進むと、東武伊勢崎線用の行き止まりホーム、4番線、5番線がある。有人の中間改札は無く乗換えが出来たが、ICカードの自動改札機が設置されていた。しかし、訪問数日後の2010年3月13日からは東武専用の仮駅舎も利用開始され、両線間の乗換えは改札を通り、一旦駅舎を出なければいけなくなったという。
東武線、JR線の乗換え通路の間に、モルタルの危険品庫(油庫)があった。木の扉が古めかしさを感じさせる。建物財産表を見ると、何と明治41年(1908年)!この表記を信じるのならば、現駅舎よりも古い。危険品庫として現役のようで、扉横の白い看板には「品名 灯油 数量600リットル」とペンで記入されていた。
片隅にあった水場も、洋風駅舎に似合うレトロで洒落たデザインだ。
駅舎側の一番線は古レールが支える武骨な上屋が印象的だ。古いプラットホームは訪れた夜が更に味わいを醸し出している。どことなく昭和の香り漂い「夜汽車」がという響きが似合うような雰囲気だ。
駅は帰宅する人々で賑わっていた。ひどく混雑していないという点では、都会の駅と同じような光景だった。
[2010年(平成22年) 3月訪問](群馬県伊勢崎市)
~◆レトロ駅舎カテゴリー: JR・旧国鉄の失われし駅舎 ~
追記: 伊勢崎駅新駅舎
高架駅舎となった伊勢崎駅。2010年(平成22)5月30日にJR駅が、2013年(平成25年)10月19日には東武側の駅も供用開始となった。
旧駅舎時代はJR側が東武鉄道の乗車券販売などの業務を請け負い、改札も同一だった。現在では完全に分離され、東武側には東武鉄道の社員が配置されるようになった。
伊勢崎駅新駅舎、東武鉄道側プラットホーム。隣にはJR両毛線ホームが平行する。旧駅舎時代、番線は両社で通し番号だったが、新駅舎ではそうでなくなり、それぞれ1番、2番…と付けられている。