次の列車は午後!!1日上下3本ずつしかない超閑散区間
早朝、備後落合駅から、新見行きの芸備線普通列車に乗った。乗客は私だけだった。
備後落合駅から一駅、6時55分に道後山駅に到着した。運賃を払い降りようとすると、運転手さんに
「午後まで列車無いんですけど…」
と申し訳無さそうに言われた。道後山駅のある芸備線の備後落合駅‐東城駅間は、1日の列車が3往復のみという日本国内でも屈指の超閑散区間だ。
「1時間位後にそこからバスがあるので」
と答えた。すると
「そうですか。」
と納得したように返事をした。
プラットホームには私以外の乗客の気配は無く、春とは思えないひんやりとした空気が漂っていただけだった。
私を降ろすと、乗客がいなくなった列車は、次の小奴可駅に向け走り去った。
駅を巡る旅が好きとは言え、さすがに7時間もこの駅にいるつもりは無く、近くのバス停からバスに乗るか、小奴可駅まで歩くかして、この駅から立ち去るつもりではいた。しかし、列車のエンジン音が遠ざかり、沈黙が戻った駅にひとり取り残されると
「ああ、行ってしまったか。午後までなんて長いんだ…」
と、呆然とした気持ちを感じずにはいられなかった。
静寂に包まれた駅に漂う賑やかなりし頃の香り
かつては2面2線の旅客用ホームがあったようが、今は駅舎から離れた方のプラットホームは使われていなく、レールは剥がされ廃れきっている。幹線系のプラットホームは、十両以上の編成が収まる長さのものが多く、いまだ威容を感じさせるものだ。しかし道後山駅のものは、そのような路線の半分程度の長さしかないローカル線サイズだ。
駅舎をプラットホーム側から見てみた。改札口周辺はモルタルで仕上げられているが、旧駅務室の辺りは木の質感が豊かで、窓枠さえも木製だ。よく昔のままの造りを留め趣き溢れる。
プラットホームは駅舎より高い位置に設置され、階段で昇り降りするようになっている。ホームの駅舎側の斜面には植木が豊かに植えられ、まるで庭園の中に駅舎があるようだ。道後山駅は無人駅となって久しいが、植木は荒れた感じはしない。誰かがたまに手入れしているのだろう。
駅舎に近づくと、使い込まれた木の質感がより迫り来るようで、いっそう味わい深さを感じる。
窓口裏側のかつて駅事務室があった辺りを見てみると、室内に消防車が収納されていて驚いた。駅舎は現在では地元の消防団が車庫として使っているらしい。車庫内の空間に余裕は無く、ガラス窓のすぐ向こうに消防車が鎮座している様はインパクトがある。車庫入れする時は、どうか勢い余って壁を突き破らないで!と心配に思える。まあ、大丈夫だろうが。
そして駅舎ホーム側右端の室内を窓越しに見てみた。引戸の向こうは、3畳程度の畳敷きの休憩室になっているのだろう。古さはあり無人化されているものの、荒れた感じはしなく、よくきれいな状態を保てているなと思う。消防団の人が集まりで使っているのかもしれない。
壁に掲げられた掲示板には「鉄労掲示板 道後山駅班」という表題が添えられていた。鉄労は国鉄時代の労働組合の一つだ。そしてその横の柱には「節電」という貼紙が残り、小さく「国鉄財政再建」と添えられていた。今では衰退してしまったが、昔は確かにこの駅にも駅員さんがいたのだ。隔世の感さえ感じる。
駅舎のすぐ隣には、軒続きで離れのような小さな木造の小屋も残っていた。こちらも木の質感が豊かで、かなり古そうと察せられる。
壁に貼られたままの掲示物を見ると、「整理整頓」「防火用バケツ」「バケツ13ケ」などと書かれている。倉庫だったのだろうか。
待合室の中に入ると、天井など上部は壁の素材が木ではなく、壁紙などで改修されていた。しかし、窓口跡や出札口、造り付けのベンチなどは見事なまでに原型を留めていた。手小荷物窓口のカウンターは窓口の半分を占め、昔の造りのまま重々しく鎮座する。今でこそ宅急便に取って代わられたが、昔の鉄道小荷物の重要性を雄弁に語る。隣りの出札口のカウンターも木のままだ。
窓口は大きな掲示ボードで塞がれしまっているが、その陰には昔のままの造りを留めているかもしれない。
手小荷物窓口の大きなカウンターは、色々な物を置くのにちょうどいい。隅には不要となった古い木製駅名標が置かれ目を引く。他にも、ぬいぐるみ、古い鉄道路線図、駅ノート、そして折り紙。箱の中に積み上げられた多くの折鶴は、列車を待つ旅人の無聊を表わしているのだろうか。
このように「物」と言っても、どれも駅の必需品ではないが…。たぶんこの駅を気にかける誰がが置いているのだろう。
数々の物の中から特に目を引いたのが、いちファンがまとめた道後山駅についての冊子だ。駅の歴史から周辺、昔の新聞記事など、とてもよくまとめられ素晴らしい出来だ。できれば記念に持ち帰りたいとさえ思った。
外に出て駅舎を眺めてみた。木造駅舎だが木の質感豊かなホーム側と違い、モルタルで固められている。
例の冊子には、開業当時の新聞記事も掲載されていた。それによると熱心な請願の末、1936年(昭和11年)11月21日に開業した駅で、住人達はとても喜んだと言う。そして赴任してきた駅長は、駅舎を見て「都市駅を凌ぐモダンな駅舎」と驚いたという。
なるほど。確かに昔の駅舎写真を見ていると、外壁に木の板を使った純木造駅舎と言えるようなものが多く、標準的だったのだろう。それを思えば、石材を使った腰壁にモルタルの壁面は珍しかったと思われる。この駅を見ていると、昭和のレトロで洒落た住宅と言った感じがする。
しかし、今では消防車の車庫として使われているため、中央部分にシャッターが取り付けられ、いかにも車庫という造りになっているのが、正直、残念な気はする。しかし、無人化された駅の駅舎は、多くが利用目的が無ければ老朽化が進む一方で、そして取り壊される運命にある。それを思うと、車庫という新しい用途を与えられてこそ、このモダンな駅舎は永らえているのかもしれない
駅舎の全体的な古さに対し、屋根は波形の鉄板に取り替えられていた。まだそれ程古くなく、いかにも丈夫そうで、駅舎を雨漏りから守ってくれそうだ。
駅周辺を歩いてみた。辺りを見回すと、山林を切り開いた狭い空間の中心に田畑があり、その周囲に家屋が点在し、そして駅があると言った感じだ。しかし、今では住んでいる人はほどんどいないようだ。国道から少し奥まった所にあるこの集落は、人の気配も無ければ、車が通り過ぎる事も無い。1日3往復分の列車本数といい、秘境駅の趣が漂う。
駅の目の前には「国鉄旅行連絡所」という小さな看板を玄関に掲げた家屋があった。サッシの引き戸を見るに、商店とか何か商売をしていたのだろうか?しかし、ここも生活の気配がしなかった。
待合室の木製造り付けベンチは、かつては多くの人が座り賑わったのだろう。擦り減らされ、木目がいくつも浮き出ている様が、かつての賑わいを感じさせる。
再び道後山駅の冊子を手に取り、目を通した。道後山駅は、約9km北東にそびえる道後山への登山やスキー場などへの行楽客を期待し、1936年(昭和11年)に開業したという。そのため当時、この地は八鉾村植木という名だったにも関わらず、あえて道後山という駅名にされたという。
この駅からは道後山行きのバスも運行されたり、広島からの急行列車も停車したりなど、県内有数の観光地の玄関口として、とても賑わっていたという。また1952年(昭和27年)には、駅のすぐ裏手に高尾原スキー場という小さなスキー場が開業し、近年までその建物が残っていたという。
こんなひっそりとした駅にも、こんな華やかな時代があったのだ。この待合室にも行楽客の歓声が響いたのだと深い感慨を覚えた。そしてその分、時代の移り変わりとはなんと残酷なんだろうと、現実が心を過ぎった。
待合室の窓の上の方には、山並みが描かれた絵画が掲げられていた。おそらくは標高1268mの道後山と、その周囲の山々の雄姿なのだろう。今日は残念ながら小雨降る天気で、空は白く霞んでいる。しかし、駅は廃れても、そこから見上げる山々は変らずそびえ、そして駅を見下ろしているのだろう。これからも…
歩きつつ…振り返りつつ…
もう少しここに居たいと思える素晴らしい駅だが、そろそろ出なければいけない。地図を見ると、国道314号線に出るには、踏切を渡り駅裏手のスキー場跡地前の道か、駅前に広がる田畑を外周し集落を通る道があるが、後者を選んだ。
道後山駅から少し離れた所で、駅舎の方に振り返った。すると、小さな枝垂桜が植えられているのが目に入った。昨日巡った姫新線沿線では、ソメイヨシノが散り始めていたが、この枝垂桜はまだ咲く気配さえもない。600mを越える芸備線最高所のこの駅に春が訪れるのは、まだ先のようだ。
少し歩くと杉林に入り、その足元に研修施設のらしき建物があった。だがこの日は使われていないらしく、静まり返っている。
その入口辺りに「記念碑」と書かれた石碑があるのを発見した。読んでみると道後山駅の開設記念碑で、この地区の人の熱心な請願により、駅設置が実現したという事が書かれている。「歓喜極なし(=歓喜はとどまる所が無い)」と標された一句に、道後山駅開業が当時の人々にとって、どれほどまでに凄まじい喜びだったかを改めて実感させられた。
すぐに杉林を歩き抜けると、また数軒の家が立ち並ぶ集落の中に入った。空き家もあるが、人が住んでいる気配のある家屋があり、不思議とホッと胸を撫で下ろす気分になった。
田畑の向こうには、道後山駅の駅舎が見えた。遠ざかり小さくなった駅舎を見ると、印象深い駅だっただけに尚更名残惜しさが湧き上がり、次の駅へと歩みを止めさせた。
[2015年(平成27年) 4月訪問]
- レトロ駅舎カテゴリー:
- JR・旧国鉄の二つ星レトロ駅舎
道後山駅基本情報まとめ+FAQ
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列車が一日3往復と少ないが、補完となる訪問手段は?
道後山駅には乗り入れないが、近くを通るバス路線がいくつかある。
また東隣の小奴可駅と西隣の備後落合駅まで、それぞれ約4㎞程度なので、その人によるが、駅間徒歩できない距離ではない。
小奴可駅には、(有)道後タクシーが入居しているので、困った時の最終手段として… -
ではどんなバス路線がある?
西城交通の道後山線(西城駅前-道後山麓)と、小奴可西城線(西城駅前-小奴可)。最寄りの植木停留所まで約500m。比婆山駅前や備後落合駅前も経由。
備北交通の小奴可線(日野原‐東城駅前、備後八幡駅も経由)。最寄りの日野原停留所まで約2㎞。
いずれも運転本数は非常に少なく、全便日祝運休。土曜日に運行があるのは道後山線だけで、しかも予約運行。ご利用の際は必ず事前のご確認を! -
時刻表など、それらのバス路線の情報を調べられるウェブサイトは?
西城交通: 庄原市HP・生活交通バス・タクシーの西城地域の項目。
備北交通: 備北交通HP・路線バスの東城の項目。
もしくはナビタイムの路線バス時刻表と言った時刻検索サイトへ。 -
道後山駅の所在地は?
広島県庄原市西城町高尾
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鉄道会社と路線名は?
JR西日本・芸備線
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開業はいつ?
1936年(昭和11年)11月21日
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道後山駅舎は何年築?
不明だが、本文でも触れた冊子の新聞記事を見るに、1936年(昭和11年)の開業時ではないかと…
(※2021年3月現在)