銅山が賑やかだった頃が偲ばれる駅…
群馬県の桐生駅から、栃木県の間藤駅まで伸びる第三セクター鉄道、「わ鐵」こと、わたらせ渓谷鐵道の列車に乗り、終点のひとつ手前の足尾駅に到着した。半年程前の2009年11月、大正元年に建てられた駅本屋やプラットホームなど、足尾駅のいくつもの古い駅施設が国の登録有形文化財となり注目を集めていた。
ホームに降り立つと、最初にホーム上の古びた木の電柱と、その横に植えられた松の木々が目にとび込んできた。古い駅に相応しい歴史感じさせる眺めだ。
3月とは言え、桐生から山に分け入るようにここまで登ってくると、空気は冬のように肌寒い。駅構内は薄っすらと雪で覆われていた。
足尾駅に降り立って、あまりに広い構内に驚かされた。島式ホームの外側に側線が3本、間藤方にも木製上屋が残る貨物ホーム跡や、何線かの側線がある。7年前にわたらせ渓谷鉄道を訪れ、足尾駅に停車した時、この側線に、客車など鉄道車両がいくつも留置されていたが、随分とすっきりしたものだ。
旧足尾町内では、隣の通洞駅の方が街としては中心地だったようだ。しかし、通洞駅の周辺は斜面があり、駅の周りに広い土地が取れず、車庫や貨物取り扱いなど各種設備は、こちら方に置かれたのだろう。そして足尾と言えば、何と言ってもかつては日本有数の銅山、足尾銅山があった。足尾線は足尾銅山で採れた鉱石の輸送で賑わったという。かつて、この側線跡は大量の貨車で埋め尽くされていた事だろう。
ホームの上から駅舎を眺めた。大きめな木造駅舎で、銅山最盛期の威光が未だに伝わって来るかのようだ。かつて足尾町は、宇都宮市に次ぎ栃木県内では2位の人口を誇ったこともあるという。現在の、のんびりとしたローカル線末端部と言った雰囲気からは、想像できない賑わいぶりだったのだろう。
駅を眺めていると、他の駅には無いどこか不思議な風景で、何となく違和感を抱いていた・・・。
すぐにそれはホームが異様に低いからと気づいた。今では古いホームが残っている駅も、かさ上げされている駅がほとんどと言っていいが、足尾駅はその痕跡が無く、昔のようにホームの端から端までが見事に低いままだ。駅舎が大きいので余計に目だったのかもしれない。眺めていると、まるで地を這うかのようなホームの低さに思えた。
1番ホームの端にはレンガ造りの危険品庫が残っていた。こちらも登録有形文化財だ。見ている時に、たまたま、わ鐵社員とおぼしき方が危険品庫の鍵を開け、中のものを取りに来ていた。危険品庫の中を見られる機会は滅多に無く、チャンス!と思い邪魔にならないよう外からチラリと見てみた。一瞬なのではっきりとは見えなかったが、棚には色々と物が置かれていて、今では倉庫として使われている様子だった。
駅舎の南側には二棟の小屋が残っていた。その内の一つは壁が木のままで特に古そうだが、ガラス窓が何枚も割れていて放置状態なのが惜しい。
よく見ると建物財産標が付いていて、何と「浴室」と標されていた。 どんな風になっているのだろう中を覗いてみた。湯船は見当たらなかったが、それらしき一室はあった。使用されなくなって久しく、さすがに湯船は撤去されたのだろう。家庭用浴室より少しだけ広いスペースには、自転車など廃品が放置されていた。
しかし、その隣の脱衣所は風呂場の痕跡を色濃く留めていた。壁には造り付けの細かく仕切られた棚がそのままだ。16の棚があり、ちょうど銭湯などの棚と同じくらいの大きさだ。きっとそれぞれ「マイ棚」があり、タオルなど自分の入浴用品を置いていたのだろう。浴室は荒れ果てているためか、登録有形文化財にはなってないが、現代に残っている昔の駅の設備として十分に価値があると思うのだが・・・。
それにしても、寒そうな地域だ。風呂を別棟にして不便じゃなかったのだろうか・・・?いや、冬はさぞ寒かったに違いない。雪降る寒い日、風呂を出た駅員さんが、背中をすくめながら隣の休憩室に駆け込む様子が目に浮かんできた。
駅舎の北側には、木造の小屋が建っていた。これも古そうで、扉に「担架」と縦書きで書かれた札が掛かっていた。担架収納のための小屋なのだろうか。帰って調べたら昭和10年築の手小荷物保管庫だと解った。こちらも登録有形文化財だ。
駅の窓口で預かった荷物を列車に積載するまでの間、ここに保管していたのだろう。荷物をわざわざここに持ってきて保管するのはひと手間掛かり、それなら駅舎内に置いておけばいいという気もする。しかし、この駅の最盛期には、駅が忙しく手狭で、このような保管場所が必要だったのかも知れない
手小荷物保管庫の窓の柵には、プレゼントの箱を模したアクセサリーでカラフルに飾られていた。これはイルミネーションの装飾で、わ鐵では冬の間、駅をイルミネーションで飾り、イルミネーションを見るための列車も仕立てられる。古くて渋い建物にまばゆい光を放つカラフルなアクセサリー… 不思議な組み合わせだが、意外と似合っている。
足尾駅の駅本屋を正面から眺めてみた。1912年(大正元年)に建てられた木造駅舎は大柄で、駅事務室部分が背が高くなっている。待合室部分は入母屋になっていて、軒が周りに巡らされているのが印象的だ。
昔のままの姿を留める大正時代の駅舎に、丸ポストが添えられ、レトロな味わいをより深めているかのよう。ウェブ上でいくつか足尾駅の写真を見たが、数年前は、この丸ポストは無かった。どうやら近年になって移設されたもののようだ。
待合室内部はやはり広く、昔日の賑わいを感じさせる。窓口は昔の造形をそのまま留め、手小荷物用窓口もすぐにでも使えそうな雰囲気だ。
だが出札口の方もカーテンは固く閉ざされていた。営業時間は8時10分から9時40分と表示され、貼紙を見ると、12月1日から3月19日までは僅か火曜日のみと必要最小限だ。無人駅同然だが、完全無人化するよりはマシで、経営状態が思わしくない中、経費削減を迫られるが、利用客に不便にならないよう苦肉の策なのだろう。
駅舎の横には木造の駅員宿舎が残っている。縁側という日本家屋独特の造りを残し、雨戸があるところが面白い。かつては駅長さん一家が住んだのだろうか…。この裏側が新建材で改修されていたり、窓枠がサッシになっているなど、古びている割にはしっかりと改修されている。もしかしたら近年まで使われていたのかもしれない。
駅舎の北側一帯にも側線跡と思しき広い空間があり、その中に木造の貨物上屋まで残っていた。恐らくほぼ完全な形で、今なお残る姿は味わい深く、凛として佇むような姿はもう立派の一言。
貨物用ホームにはキハ35系気動車2両や、濃硫酸タンク車タキ29312など5両の車両が整備保存されている。 未だに木製上屋が残るホームににきれいに整備された車両が残る風景は、まるでどちらも現役で、今にも動き出しそうだ。タキ29312は国鉄足尾線で活躍し、その後に秋田県の小坂精錬小坂線に渡ったが、20年ぶりに足尾に里帰りした縁深い車両だ。
足尾駅には有志の人々が中心となり「足尾駅博物館」を作る計画があり準備室が立ち上げられた。上記開業当時の姿を留める足尾駅を活用を構想しているとの事で、キハ35の整備やタキの里帰りはその構想の一環との事。保存車両群も魅力的だが、私は昔のまま造りを留める木造駅舎など、登録有形文化財となった諸施設はもちろん、宿舎や浴場といった、その他の施設も貴重で、そして趣き溢れる。昔の駅の諸設備をそのまま残し後世に伝える、まさに「駅の博物館」としての役割を期待したい。
ホームに古い木製電柱が残っていた。おそらくもう何十年とここに立ち続けているのだろう。風化して、長い年月に掘り込まれた皺のような木目が天に向かってまっすぐと伸びているかのような姿が鮮烈に映った。そして錆びきった「視差確認」の看板が掛かったままだった。その後、広い構内に目を転じた。がらんとした風景が眼前に広がった。しかし、かつてここでは多くの駅員さんが忙しく働いてきた気配が、一瞬、立ち上ったような気がした…。
[2010年(平成22年) 3月訪問](栃木県日光市足尾町)
~◆レトロ駅舎カテゴリー: JR・旧国鉄の三つ星駅舎~